やぶた宏行 静岡県議会議員 -薮田宏行 藪田宏行-
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石川前静岡県知事(左)とやぶた宏行(右)
小学生時代
 4年生のとき、自転車ごと道脇の水路に落ちた。自転車の重みで泥水に口までつかり、もうだめかと思ったとき、同級生のお母さんが通りかかり、九死に一生を得た。一度死にかけた命であり、助けてもらった命だという想いが強くある。
 6年生の時、同級生とケンカをした。先生から「自分のためだけにケンカをするのは、男のケンカではない」と教えられた。勉強だけでなく、本当の強さや勇気、人間の誇りや役割を教えられた。いい先生、いい友達に恵まれた。

中学生時代
 高校受験の前日、父親に田んぼに連れて行かれた。「明日は受験だから長くは手伝えない」と言うと、「前の日に勉強しなければ受験できないのならやめろ」と言われた。大学を目指すのなら、世の中のためになる人にならなければダメだ」とも。

高校生時代
 掛川西高校3年の夏休み、野球部が甲子園に出場した。夏期講習で東京に滞在していたが、掛川にかけ戻り、団体列車で応援に行った。延長18回0対0の引き分け再試合の素晴らしい試合だった。野球のいい思い出を野球部員、応援団はじめ多くの関係者の皆様がつくってくれた。

大学生から社会人へ
 大学2年のとき、父親が交通事故で大ケガして入院、知らせを聞いた母親が急死。人生のはかなさを感じた。卒業後、妻の実家の会社に入り、すぐに遠洋漁業へ。船酔いに悩まされたが、仕事は現場が大切であることを思い知った。

PTAに関わるきっかけ
 長男が小学校6年生になるとき、PTA会長への就任依頼があったが、仕事が忙しく、校長や役員が自宅を訪ねて下さったが断った。帰り際、「やぶたさんは仕事ばかりで、子供のことはどうでもいいのね」という声が聞こえた。その言葉で「やろう」と決めた。
 小、中、高のPTA活動で校長先生他、多くの先生方や役員、会員の皆様にお世話になるとともに、自らの人生の方向が変わった。

教育委員、町会議員、助役、教育委員長へ
 旧御前崎町の教育委員と一期町議会議員を務めたのち、助役を8年9ヶ月務めた。御前崎市には新しい人を受け入れる土壌がある。合併前には、合併協議会幹事長、新市建設計画策定委員会委員長を務め、合併後2年間は教育委員長を経験。今思えば、それが政治と思わず、まっすぐにひたすらやり続けてきた。それがそのまま政治だった。

好きな歴史上の人物
 西郷隆盛に関する本を多く所有している。西郷には「どんな立場の人も分け隔てない、自分の信念に基づいて生きている。人間対人間で行動でき、人を信じる、芯のある政治家」そんなイメージがある。2度島流しにあって苦労を重ねたが、明治維新を成し遂げるため、滅私の精神でひたすら努力した。その後も近代国家建設のリーダーとして頑張った、その人間性が素晴らしい。



氏  名
生年月日
住  所
出身学校 
藪田宏行(やぶた ひろゆき)
昭和22年1月3日
御前崎市御前崎119-40
佐束小学校(旧大東町)
城東中学校(旧大東町)
掛川西高校
静岡大学 教育学部

主な現職 静岡県議会副議長
総務委員会委員
自民党水産振興議員連盟会長
自民党温室メロン振興議員連盟副会長


主な元職 自民党静岡県連副会長
自民党静岡県連政務調査会長
静岡県監査委員
総務委員会委員長
厚生委員会委員長
建設委員会委員長
文教警察委員会副委員長
大規模地震特別委員会副委員長
産業委員会副委員長
静岡県議会建設委員会副委員長
企画くらし環境委員会委員
産業委員会委員
厚生委員会委員
決算特別委員会委員
防災拠点強化特別委員会委員
海外就航地交流推進特別委員会委員
議会運営委員会委員
議会運営等改善検討委員会委員
屋外広告物審議会委員
御前崎市教育委員長
御前崎市行政改革推進委員会委員
御前崎市原子力発電所対策協議会委員
御前崎市青少年健全育成会議委員
御前崎市振興公社理事
御前崎町助役(平成7年7月〜平成16年3月)
御前崎町・浜岡町合併協議会幹事長
合併協議会新市建設計画策定委員会委員長
御前崎町議会議員(平成3年4月〜平成7年4月)
御前崎町教育委員(昭和62年10月〜平成2年9月)
御前崎町消防団員
御前崎漁業協同組合専務理事
浜岡原子力発電所前面海域調査委員会事務局長
御前崎町国際交流協会会長
御前崎小学校PTA会長
御前崎中学校PTA会長
榛原郡PTA連合会会長
静岡県PTA連合会理事
榛原高校PTA会長
未来の御前崎を考える会会長
など

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